2025.04.04

レッドディザイアと松永幹夫調教師

今週末、ドバイのメイダン競馬場で、世界の頂点を決めるドバイワールドカップデーが開催される。
この舞台に馬を送り込むため、現地入りしている松永幹夫調教師だ。彼の瞳に映るのは、異国の地で輝いた、かつての愛馬の姿だった。
「ここに来ると思い出しますね」
そう語るのは、2010年、レッドディザイアと共に駆け抜けた日々のことである。
この年、レッドディザイアは、ドバイワールドカップ(GⅠ)を目指し、前哨戦のアルマクトゥームチャレンジR3(当時GⅡ)に挑んだ。そして、見事に優勝を飾った。
「本番でこそダメでしたけど、常に一所懸命に走ってくれる馬でした」
その言葉には、深い愛情と誇りが滲んでいた。
前年、彼女は日本のクラシック戦線で名勝負を繰り広げた。桜花賞(GⅠ)、オークス(GⅠ)では、いずれもブエナビスタの2着に敗れた。しかし、その差はわずか半馬身、そしてハナ。すると、3冠最後の秋華賞(GⅠ)では、その差を逆転してみせる。ハナ差でブエナビスタをくだし、ライバルの3冠制覇を阻むと同時に、自身初のGⅠタイトルを手にしてみせた。
「彼女は大きく負けることもなければ、大差で勝つこともありませんでした。でも、どんな条件下でも常に好勝負をする馬でした」
その強さは、国内だけにとどまらなかった。秋にはアメリカへ遠征し、ブリーダーズCフィリー&メアターフ(GⅠ)を含む2つのGⅠに挑戦。結果は3着、4着。しかし、いずれも勝ち馬との差はわずか1馬身前後だった。世界の壁は高かったが、それでも彼女は決して屈しなかった。
話をドバイに戻そう。
当時、前哨戦を使った理由を松永幹夫調教師はこう語っていた。
「オールウェザーへの適性がどの程度か分かりませんでした。だから、まず前哨戦を使い、勝ち負けになるようならドバイワールドCへ向かう。もしうまく走れなければ、芝に戻すつもりでした」
結果は快勝。迷いなく、世界最高峰のレースへと駒を進めることになった。
「牝馬なのに、あれほどコンスタントに走るレッドディザイアは、本当に素晴らしい馬でした」
ジョッキー時代から数々の名馬と接してきた松永幹夫調教師。その彼が、心からそう語るのだから、その価値は計り知れない。
そう言って微笑んだ後、ふと、笑みを浮かべ、こう続けた。
「今でも『レッドディザイア級の馬が10頭くらいいてくれれば、厩舎も安泰なのになぁ……』なんて考えることがあります」
彼女がドバイで活躍してから15年の歳月が流れたが、今も、レッドディザイアは指揮官の心に深く刻まれている存在である。この言葉から、そんな事が感じられた。
(撮影・文=平松さとし)