2026.04.03

レッドモンレーヴGⅠ2着

3月28日、早朝4時。1頭の馬と1人のベテランコンビが、美浦トレセンを静かに出発した。
向かった先は名古屋。約500年前、織田信長と今川義元が激突した桶狭間の決戦地にほど近い中京競馬場。7歳馬レッドモンレーヴと、その担当を務める45歳の渡部貴文調教助手。ふたりは高松宮記念(GⅠ)に挑んだ。
「普段より少し時間はかかりましたが、11時半頃には競馬場に着きました」
穏やかにそう振り返った渡部助手は、輸送についてこう続ける。
「モンレーヴは馬運車では大人しいのですが、それでも体重が減りやすいタイプなんです。減ることを見越して少し余裕を持たせて仕上げましたが、それでも思った以上に減ってしまいました」
理想は506キロ。しかし当日の馬体重は500キロジャスト。前走の東京新聞杯から18キロ減と、想定していた以上に減っていた。
「それでも気配は悪くありませんでした。当日の朝は少しピリピリしていましたが、気持ちで走るタイプなので、このくらいでいいと思いました」
装鞍ではやや手を焼いたものの、それも想定内だった。
「もともと体を触られるのが好きではないし、気が入ると噛みつきにくることもあります。だから装鞍所ではなく、厩舎で装鞍を行ったのですが、これはいつものことです」
一度は担当を離れたこともあったが、三走前のスワンSから再びタッグを組むことになった。
前々走のオーロCでは2着と結果を出したが、前走は8着。今回、距離を1200メートルに短縮し、二度目のブリンカーを装着しての挑戦だった。
「前走の1600メートルでは、騎乗した佐々木大輔騎手が『少し長いかもしれない』と話していました。これまで乗ってくれたジョッキーたちの意見も似ていたので、1200メートルになるのは良いのでは?!と思っていました」
パドックでは、鋭く神経を張り詰めていた。
「少しの音にも反応していましたが、自分としてはちょうど良い状態だと感じていました」
馬場へ送り出すと、専用バスでスタート地点へ向かった。
「一度ゲートへ入れて、出した後に本番を待ちました」
輪乗り、ゲート確認と、すべては予定通りに進んだ。「良いと思った」という偶数枠(6番)にいざない、スタートを見届けた。その後の渡部助手。今度は脱鞍所へ向かうバスに乗り込んだ。車内にあるのは場内放送の音声だけ。映像はなかった。
「なかなかモンレーヴの馬名が呼ばれなくて、正直ダメかと思いました」
ふと窓の外に映る遠くの馬群に目をやると、ひときわ目を引く色があった。
「赤い勝負服が上がっていくのが見えて……もしかして、と思いました」
次の刹那、実況の声が、はっきりと耳に届いた。
「ゴール前で『レッドモンレーヴ!』と叫んでいるのが聞こえました」
バスを降りるや否や、脱鞍所に向かった。そこで2着だったことを知った。
「嬉しかったです」
その言葉には、長い時間を共にしてきた重みがにじんでいた。
「この馬はいつも確実に脚を使ってくれます。でも『来た!』と思った次の瞬間に『届かないか……』となることが多かったです。だから、蛯名先生やスタッフと話し合いながら、“なんとかもうひと伸びできるように”と工夫してきました」
その積み重ねが、ついにGⅠの大舞台で結実した。
「いろいろなことが噛み合って、ここまで来ることができました。本当に嬉しかったです」
そしてレース後、さらに心を震わせる知らせが届いた。
レッドモンレーヴは、もともと藤沢和雄厩舎で管理されていた馬だった。蛯名厩舎へとバトンを託すように、藤沢調教師は引退。その想いを受け継ぐ一頭だった。
「藤沢先生もレースを見てくださっていて、喜んでくれたと聞きました。先生の息子さんは涙を流していたそうです」
かつて同じ厩舎に身を置いていた渡部助手にとって、その言葉は何より胸に響いた。
積み重ねてきた日々。つないできた想い。人と馬、そして厩舎を越えて受け継がれてきた絆。
そのすべてが、この2着という結果の中に確かに息づいていた。あの日、桶狭間の地に吹いた風は、勝敗を超えた「継承の物語」を、静かに見届けていたに違いない。
(撮影・文=平松さとし)