2026.04.03
スポニチアネックス
エアグルーヴの活躍が牝馬の牡馬戦線挑戦のきっかけに
【競馬人生劇場・平松さとし】今週末、阪神競馬場では大阪杯が行われる。G1に昇格してから今年で10回目。まだG2だった98年にはエアグルーヴが優勝している。
当時のエアグルーヴは単勝1・2倍の圧倒的1番人気。その期待に応えて1着となったが、振り返ればそれも当然と言える実績を残していた。
2年前の96年にオークスを制した彼女は翌97年秋、果敢に牡馬戦線へ挑んだ。天皇賞・秋に出走すると、ディフェンディングチャンピオンのバブルガムフェローを破って勝利。続くジャパンCでは英国の実績馬ピルサドスキーに首差及ばなかったものの、日本馬最先着の2着。さらに続く有馬記念でも勝ち馬から0秒1差3着と好走し、JRA賞年度代表馬に選出された。
現在では牝馬の年度代表馬も珍しくないが、当時は71年のトウメイ以来の快挙だった。主要路線では牡馬が圧倒的に強い時代が長く続いており、エアグルーヴの主戦騎手を務めた武豊は後にこう語っている。
「天皇賞でバブルガムフェローに挑んだ時は正直、半信半疑でした。通用する力はあると感じていましたが、2000メートル以上では牝馬が牡馬に勝つことはめったにありませんでしたから…」
この挑戦を決断したのは、同馬を管理していた伊藤雄二調教師(故人)だった。生前に当時の話を伺うと、決して無謀な挑戦ではなかったことが分かった。
「直前に札幌記念に出走したのですが、そこには、当時牡馬の中でもトップクラスだったジェニュインが出ていました。彼を相手にどのくらいやれるのかを見極めるつもりで臨んだところ、快勝できました」
ジェニュインは皐月賞などG1を2勝した実力馬。彼を基準にすれば、牡馬相手のG1でも十分に勝負になると判断でき、天皇賞へ向かう決断に至ったということだ。
このエアグルーヴの活躍を境に、潮目は変わった。その後、牝馬が牡馬戦線に挑むことも、そして実際に勝利することも、もはや珍しいことではなくなったのである。(フリーライター)