2026.10.28
スポニチアネックス
【根本康広 我が道27】4人目の弟子・藤田菜七子 20歳になるまでは“保護者” 妻は引き受けに反対
ちょうど10年前の16年。藤田菜七子が4人目の弟子として厩舎にやってきました。実は競馬学校入学前から「デビューできるようなら根本さんのところでお願いしたい」と相談されていました。なんせ16年ぶりのJRA女性騎手誕生。みんなが手探りです。弟子を持った経験が豊富な私の元に話が来たのでしょう。
かわいそうなくらいの注目度でした。デビュー前なのに何をしてもニュースになるし、カメラが向けられます。ある日の調教前、泣きそうな顔で「外に出たくないです」と震えています。彼女にしか分からない重圧。最近まで普通の女の子だった18歳には過酷なものでした。厩舎の前に集まる記者たちを「今日は無理だから帰ってほしい」と解散させたこともあります。
そういう状況も踏まえ、いきなりJRAでデビューするよりも地方で初実戦を経験した方がいいと判断しました。多方面との折衝を重ね、16年3月3日に川崎で“ひな祭りデビュー”を迎えます。スタンドから見つめた最初のレースは凄く緊張しているように見えました。ただ、そのレースがカンパイ(スタートのやり直し)になるんです。極限まで張り詰めた緊張がふっと和らいだのが遠くからでも分かりました。その時に「何か持っている子だな」と思いましたね。「女の子は危ない」「ちゃんと馬を制御できるのか」。懐疑的な声も多かった中、川崎で“普通”にレースをこなしたことで彼女は騎手としての“スタートライン”に立つことができたんです。
JRAのデビュー戦(3月5日の中山2Rネイチャーポイント)は凄い脚で追い込んできて2着。翌月には福島(4月10日9Rサニーデイズ)で初勝利を挙げます。多くの馬主さん、調教師さんに目をかけてもらって応援してもらい、本当にありがたかったです。もちろん彼女の負けん気の強さもあり、一つずつ重圧を乗り越えようとしていたように思います。
実は妻は菜七子を引き受けるのに反対だったんです。「そんな大事なお嬢さんを引き受けて大丈夫なの?」と。私にも実の娘たちがいます。妻から「菜七子ちゃんが20歳になるまでは保護者として本当の娘のように接しなさい」と言われました。その言葉で覚悟が生まれました。
実戦こそが騎手を成長させるというのは実体験で理解していました。JRAの開催がない平日はとにかく全国の地方に遠征し武者修行です。“保護者”の私もできる限り同伴し、美浦から南関東、時には盛岡まで車で送り迎え。ナイター競馬を終え、疲れ果てた菜七子には「寝ておきなさい」と助手席で眠らせました。深夜のドライブ。早朝の自厩舎の調教から働き詰めの私にも眠気が襲います。そのたびに菜七子の横顔を見て、ギュッとハンドルを握り直しました。
◇根本 康広(ねもと・やすひろ)1956年(昭31)1月31日生まれ、東京都出身の70歳。77年3月に騎手デビュー。87年日本ダービー(メリーナイス)などG13勝を含め重賞14勝。障害戦でも活躍し、79年にはバローネターフで中山大障害を春秋連覇。JRA通算2633戦235勝。97年に騎手を引退し調教師に転身。98年に開業し通算6420戦218勝。藤田菜七子元騎手ら5人の弟子を育てる。